無音声

文章を書くときに一つだけ気にしていたことがある。あった。即座に意図を伝える分の運び方を避けること。オブラートよりも薄くなってしまった決めごとは、それでも微かに息継ぎをしている。特異な書きぶりで気を引きたかったからなのか、誰にも伝えたくない現実を受け止める術だったのか、昔に引き戻されても理由を辿ることができるだろうか。

日記は瞬間ごとの自己への暗号のようなものだ。出られない部屋としての日記は悪文で綴られることすらない。惰性で夜に短い言葉を投げつけると鳥に変わって飛び立つらしい。ばらばらになったらまた縫えばいい。時間ならいくらでもある。時間しかないとも。

嘘みたいな出来事だらけだ。嘘にしたい出来事とは理性が言わせない。何年を越えても、いつまでも、わずかに残ったものばかりに引き寄せられている。