ちぎるということ

加害者意識を一生保つのはとても難しく、火花が肌を焼くプラスマイナス10秒を待って尚脳から漏れ出ている。事前動作を見抜くためにいくつも用意された浮き島を全滅させながら帰り道のない会話を今日も。
罪悪感も適切な瞬間に取り出せなければただのゴミくずで、よくあるこの部屋によく似ている。
卑怯者は今日も音楽に自分を縫い付けては深い池に沈めて被罰意識を消化している。甘い匂いがする。
この世が酔って吐く息は甘ったる過ぎて、すぐに手術室に連行させられる。開いても閉じても腐っていく胸に鈴蘭を1輪だけ置いていく人影の塊。丸ごと飲み込むといいですよ、儚げで月夜が似合う、少しずつひずんでいく、あなたが望んだ形でしょう。
「うまくやれていたんです、信じてください、信じていたいんです」
花も根も千切っては千切ってティーバッグを用意して、どうか覚めない良い夢を。

コップ一杯

一杯だけ、と付ければ余裕が生まれ、もう一杯です、と挟めば微塵の隙間も無くなる不思議さがそこにある。一杯、とだけ置かれた言葉がどちらに転がるのか、ひと撫でで分かれば良かったのに。

見たもの全てを救おうとする人が美化されるのはそうあるべき、だからではないのかもしれない。出来ないから、出来るはずがないから。すれば、何が起こるか分からないから。そんな神話に近い代物を小さい頃から口に詰め込んだり、詰め込まれたりした。

神話を体現すればバチが当たるから、といつからか美談はすり変わり、今は、無力と名前を変えて胸元に沈んでいる。「そうなりたかった」に成り果てた「なりたい」は、毒にしかならない。

内蔵されたスロットは想像よりも遥かに、遥かに少ない。想像力を飛ばすのは子供の特権で、選挙権が霞んで見える。なんだってできる、からできることをえらんでつづける、に綺麗に脱皮できなかった場合のマニュアルを作る人はいない。作る気力も余裕もないまま崖に吹き付ける風に怯え続けている。大人になれないまま子どもの権利にしがみつくのは見るに耐えない、なりたくなかったあの日の大人だ。片付かない部屋にそのまま自分を置き換えて、あまりに違和感が無いからそのままでいいか、もう。

雨の弦

雨が弦に見える人や星が降るように見える人、触れられる表現の一つ一つにはその人が見た世界が詰まっている。感性はタイムマシンに乗らなくても自在に過去や未来を行き来する。言葉の選び方は見ている世界との合わせ鏡であり、筆遣いであり、色彩そのものだから。

言葉は呼吸を止めない生きた化石だ。生んだひとの元を離れて、名前の見つからなかった場所を静かに指し示す羅針盤だ。

言葉の誕生は新しい世界の始まりだ。組み合わせて見たことのない場所に降り立つこと光を窓を通して世界を見ている。

瞼の檻

涙が一番小さな海だとしたら、瞼は一番小さな扉かもしれない。自分が唯一制御できる実体を伴う境界線。

閉じた裏側から、扉の外を想像する。悠々と流れていく光の束を、二番目の瞳で追い続ける。開いた瞬間に目が眩もうと、あてどもなく美しい想像が必要な時がある。外の新鮮な驚きを恐れにしか感じられないときも。

閉じ続けて錆びた扉が軋んで、隙間から光が漏れてきていた。内側は既に見えない渦潮に飲まれて酸素は僅かだ。扉を開ければ、開けさえすれば。

追い込まれた時に、万能の鍵があると思い込んでしまう欠陥。そんなものはどこにもないのに、むしろ、全てを無かったことにするスイッチの方がありふれているのに。

全てが開いている。開いてしまった、ずっと開きたかったはずのもの。浸透圧に押し流されてあらゆるものが混ざりあい、食いあい、手の施しようもないほど痛み、何処かへ流れていく。繰り返し。もう閉じることはない。手を押し当ててみても抗うには小さすぎて、むしろ光は濁流のように流れ込んでくる。正しさ。誠心誠意。人を想うこと。正しさに触れて恐れるのは正しくない。正しくないはずなのに。

無音声

文章を書くときに一つだけ気にしていたことがある。あった。即座に意図を伝える分の運び方を避けること。オブラートよりも薄くなってしまった決めごとは、それでも微かに息継ぎをしている。特異な書きぶりで気を引きたかったからなのか、誰にも伝えたくない現実を受け止める術だったのか、昔に引き戻されても理由を辿ることができるだろうか。

日記は瞬間ごとの自己への暗号のようなものだ。出られない部屋としての日記は悪文で綴られることすらない。惰性で夜に短い言葉を投げつけると鳥に変わって飛び立つらしい。ばらばらになったらまた縫えばいい。時間ならいくらでもある。時間しかないとも。

嘘みたいな出来事だらけだ。嘘にしたい出来事とは理性が言わせない。何年を越えても、いつまでも、わずかに残ったものばかりに引き寄せられている。

花ゆり落ちる

キャパシティを越えた人間を抱えた船は静かに沈むべきだ。既に冷えた目は言葉を持ちつつある。この場合の接続詞は「だけれど」ではなく「どのみち」だろうか。怯えに似た傲慢さを気取られないように口を潜める。

地面に落ちた花を拾って部屋に飾っていた頃、どんな顔をしていただろう。綻びかけていたのに、存在を全うできなかった花。道を歩けばいくらでも目に入るそれらを選ってしまえば、その時点で偽善の二文字で手足を縛られる。すべてを拾い集める力がないなら、せめて踏まないように静かに歩くしかないのではないか。

大切にしたいものはいくつもあってはならない。ひとつに向けて研ぎ澄まされた好意にこそ価値が宿る。

 

6月215日

何事もなかったかのように夕飯は口に運ばれていき、違和を感じないことに違和を感じる揺り戻しは随分と遅れてやってくる。ヒーローでもないのに。

特筆すべきことはない、別に、普通、語彙は違えど司る理由は根で繋がっている。掘り出す前に消える後悔。体を向ける前に崩れた記憶。歓喜を言葉に表す苦しみにならどれだけ縛られたっていいのに。いっそ幻の波を捕らえられるように、指を取り替えてしまおうか。指だけで構わないのか?捉えられる目は?追い付ける足は?体中を全てすげ替えたいように仕向けたのは言うまでもなく他でもない。

普通に「普通」と名付けてきっちりと並べるのは、予想以上に難しい。おかしな出来事に何回も間違えてラベルを貼ってしまった跡、そもそもラベルすら貼らずに山積みになったガラスの瓶。最近はインクも買いに行く元気も、ついでのように切れている。

やるべきことをやらずにやってはならないことばかりをやっているから麻痺した頭が同じ内容ばかりを口から吐き出している。
「本日は大雨で、生活をしています。やはりどうしても理由がない、頭が痛い、ここは誰ですか」

きっとインクの無駄遣い、違和に気がつく理由も、掠れて消えた。